漆(ウルシ)の木、美しく役に立つ植物の伐採論
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(写真:鮮やかなウルシの紅葉)
以前、小中学生と野外活動をする施設で「ウルシの木はかぶれて危ないので切ってしまおう」という話が持ち上がりました。
私は(賛否を言える立場でないにもかかわらず)反対しました。
反対内容の一部。
紅葉が美しくまたこの場所の自然を語るに欠かせない植物であること。
その植物をやみくもに絶滅させるのは自然体験活動をする施設として適切ではないこと。
英語で「japan」というほど、漆(うるし)というものが漆器だけでなく文化財の修復など日本の文化に欠かせないものでありその実物を知る自然の教材であること。
危ないと言ってもスズメバチのように向こうから襲ってくる類のものではなく注意すれば危険は回避できること。
また、危険であればこそ学習が必要であり、それがなければ子供たちは危険なものを危険と知らずに大人になってしまうこと。
このウルシの伐採案のその後はというと、私の意見が通ったわけではなく話があいまいになったがゆえに伐採を免れ、今に至っています。
このようにコンセプトもガイドラインもそれに至る議論もそして観察すらなきに等しいため漆は手をつけられていませんが、しかしほかにも自然観察だけでなく特用林産物としても大いに学習価値のある山菜やキノコも無秩序に採られ樹木の伐採や環境整備に関しても体験学習の価値や自然環境の保全としての方向性がないのが現状です。
そもそもこういった豊かな自然に恵まれた環境に施設を作ったのはなぜなのか。
私がここで、そして活動時にはいつも言っていることは、これらすべてを含む考えとして、体験活動の施設であるならば周辺の自然にあるすべてのものを自然環境の保護というだけでなく教材として位置づけて保護しなければいけないのではないか、ということなのです。
そして小中学生に予定をこなすだけの泊まり行事やネット検索の内容を借りてくればできるような活動ではない生の体験を提供するには何が必要なのか。
本当の価値そして子供たちへの財産を見出しそれを守り活かすことができるのか、大人が問われている気がします。
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