それは自然と人間とともにあるもの

自然科学は、自然という無形とも言えるものをいっしょうけんめい観察し、考え、計算し、解明を持ってそれを手に入れます。
でも真理というものは本当はみんなどこかでは知っていて、でもだからこそ「形」にしたい。
それでも感じる心や感覚や意識はその計算以上に強くそして抗い難い存在感があります。
僕はこういう図形を見る時や作るときや、そしてその図形以上のことを考える時、その概念の位置付けとして、人間が、自分が、どこにいるのかわからなくなります。
不思議で、おもしろい感覚です。
でも、科学者も精神世界論者も哲学者も、そして創作家や様々な表現者も、現わすべき形が違っても、元になる動機や感性、そしてその根底にある超自然的なものと調和するひとつの意識というものを感じます。
むしろその調和を知るために別々の考察や表現をしていると言ったほうがいいのかもしれません。
関係するテーマの過去記事:
イメージは星のかけら、または輝石
ドリームキャッチャーの中にて
一応オブジェなんですが
切頂20面体を作る
いろいろやらないと、という感じです
(写真中央にちょっとだけ正12面体の模型)
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