生き物GO!スマートフォンに自然の動物植物が現れます
母の命日に思い出した数年前の同じ日の夜の出来事と作品

11月8日夜、と名付けられた木版画。
http://tetsuoart.com/gallery-w-11gatsu8kayoru.html
何年も前のある夜、昨年亡くなった母の実家にひとり泊まりました。
祖父母がなくなってからもう誰も住んでおらず、かなり田舎の森の中の一件家のような所かつ古い家。
11月の山の中は寒い上、近くに住む親戚にはお化けが出るよ、なんて言われながらも、どこででも泊まれる僕は寝袋を持ち込んでひとり森の中の家で一夜を過ごしました。
僕はこの夜、亡くなった祖父母のことを考え、生きている人たちのことを考え、森の声を聞き、星の声を聞き、さまざまなことに思いを巡らし、また一方で無になった心を感じてそれら思いをすべて感情を交えない事実として心に留め、そしてその時の持ち合わせの道具と小さな版木を使い、心象風景をスケッチブックに記すように木版を彫りました。
作品の名前も「11月8日夜」とだけ、メモ書きのように付けました。
そしてその思いを巡らせてから何年も後の、奇しくも昨年の同じ日に母の命日となりました。
命日の夜にあの夜のことを思い出した、不思議な偶然を感じた作品です。
作品(TETSUO ART GALLERY内)
11月8日夜
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母が亡くなったけれど親の遺言で(?)年賀状を出す
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実は昨年秋に母が亡くなりました。
故人を偲びつつ法事もつつがなく行われましたが、さて喪中が定番の年賀の挨拶です。
で、年賀状出しました。
葬儀に来ていただいた方には一応喪中としてあいさつしましたが、そうでない方たちはあまり私の家庭の事情と関係のない方も多く、また最近では喪中であってもプライベートとビジネスなどを分けて喪中でも年賀状を出す方も多いらしく、年賀状もありということにしました。
が、一番大きな理由は、母方の祖母が喪中はがきについて「喪でも年賀のあいさつ(年賀状など)をきちんとしなさい、喪中だからと言って不幸を他人様に押し付けるものではない」と言っていたと生前母が言っていたこと、これを私なりの解釈で採用したというところです。
親が亡くなっても正月を迎えられるということはありがたくおめでたいこと。
そしてまた年賀の挨拶状をやりとりできる方がいるということはたいへんありがたいことで、個々の家庭の事情に関わらない方々に欠礼をする理由もないように思われます。
そういった方々には「欠礼します」よりも「おめでとう、今年もよろしく」のほうが楽しくおめでたく、そして不幸があってもあるいは不幸があればこそ、年賀状のやりとりが双方にありがたいものになるのではと思うのです。
この「他人様に不幸を配るものではない」という話は父方の祖母が亡くなったときに記事にしていますが(→)、今読んでみると「極端な例で(中略)具体的にそうするかは別として」と書いていますが、今回自分の中ではあまりにも自然に年賀状を出す運びにしていました。
そしてこういうものを残してくれた母に感謝しています。
記事タイトルの「親の遺言で」というのはたまにある変な冗談を引用したもので(笑)母が実際そう言ったわけではないのですが、形式よりも生きている人のあり方を大事にする人だったので私が変なことを言っても良しとしてくれるのではと思っています。
母は亡くなりましたが、自分もまわりも無事新年を迎えることができたことはとてもありがたいことです。
そして喪でもご挨拶いたします。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
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お盆とお葬式のいろいろな習慣
祖母が亡くなりました
なんだか急に目が悪くなったのでメガネを買う

「trick or treat (お菓子はかわいいのが好き)」より。
このところ視力がどうも問題です。
以前に記事にしたところでは、「視力に問題あるけどメガネを買わずにそのまま」から「書いているそばから眼鏡を買ってしまった」の後、時々メガネを使いながらもあまり気にせずいましたが、コンディションによって良かったり悪かったりする視力が今年はどうも良くないほうに傾きつつあるなと。
で、買いましたメガネ。
絵のように実際には赤くはないです。
というか実は少し前に1本買って、今回また買ってしまいました。
でも以前のようにいつもメガネをかけていればいいのですが、たまにかけるというスタイルだとどうもオジイチャンぽいです(笑)。
ちなみに30歳過ぎての遠視は医学的には老眼というくくりだそうです。
え!(笑)。
みなさんも目を大事にしましょう。
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前記事の余談から、メガネを買う
「3コマ漫画ふう木版画セルフポートレート」みたいな作品
ベジさんという人。
野外活動のキーワード雨奇晴好、座右の銘に昇格か
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ある中学校の野外活動中、学校で作る新聞の記事にしたいとのことで係の生徒から取材を受けました。
年齢から好きな食べ物から活動のことまで内容はいろいろで、とても楽しみつつ、あまり意識していなかった自分を振り返る材料となったものもありました。
「座右の銘はなんですか?」
同時に取材を受けていた仲間はとてもまっとうな言葉をすぐに言っていたけれど、僕はそんなザユーノメーとかそんなムズカシイものないよ?
無いというのも自分としてあまり気にしなくても中学生の新聞記事としてはあまりにつまらないので何かないかな、と考え、とりあえずいつも野外活動で心にとめている「雨奇晴好」(→)という言葉を伝えました。
まあ拡大解釈で好きな言葉とか大事な言葉とか、そんな感じなので座右の銘でなくてもそれに近いかな、と。
でも後になって考えたけれど、この「降っても晴れても素晴らしい景色」とは、人生そのものなのではないかと。
素晴らしいじゃないか、雨奇晴好(笑)。
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雨奇晴好(うきせいこう:晴れても雨でも素晴らしい趣のある景色)
夏ならでは山ならではの天候
雨、雹、雪、雷
吉兆!
宇宙に心が飛んでるのは中学生でなく私でスイマセン
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「ちゃんと見るからちゃんと(記事を)書いてね」という小学生、「ぜんぜん更新してないじゃん」という中学生、「毎回(記事が更新してない)お詫びから始まるってどうよ?」という大人の知人、みなさんのご意見、ちゃんと受け止めておりますスススイマセン。
全然更新してなくてスイマセン、ちょっと前の記事が雪景色、うーん涼しい(笑)。
春からの今シーズンの泊まり込みではパソコンも全く持参しませんでした。
書いていない何か特別な理由があるのでははいのですが、去年あたりから漠然と感じていた自分の変化がこんなところに形になって(?)しまっているのかな?という、またこれも漠然とした思いなんですが、表現の形も変わるのかもしれません。
このブログだけに関して言うと、去年くらいに投稿記事が1000を超えたら自分の環境そのものが何か変化をしていくような想いというか予感を持っていました。
まあ確かにいろいろ変化はありつつ、本当のところを言うと歓迎すべき変化はもっと欲していて、ブログ更新が遠くなるとかそういったことは予想外でした。
写真主体のインスタグラムみたいな方向のほうがいいのかなと思ったりもしています。
が、とりあえず今年中はない予定で、ブログもこのまま休止という方向ではなく出来るかぎり更新はしていきたいと思っています。
というわけで、ご来頁のみなさま、スススイマセン、でででできる限り更新いたします。
気長にお付き合いいただけますと幸いです。
写真は中学生野外活動の雨プログラム、標高1300mの天文台の電波望遠鏡を見学して宇宙に思いを馳せるの巻。
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やっぱり輝く表情を伝えたいと思いつつも
更新ご無沙汰をしております&稜線に月の出

またご無沙汰しておりました。
ページに来てくださった方、ありがとうございます。
いろいろとばたばたとしているうちに記事投稿からかなり遠のいてしまう流れになってしまっておりました。
で、ひょいと記事を書けるタイミング(?)となりましたが、そんな時に限って写真がない!ということで、イメージ写真とご無沙汰のごあいさつになってしまいました。
ただ何というか、かなり自分のエネルギーに変化もあって頻度も内容も、あるいはこうした表現手段も変わるのかな?と、そんなことも考え、そんな思いも記事にしようかとも思いつつ、あれよあれよと時間が経ってしまいました。
冬キャンプもスキー教室も月も桜もいろいろ面白いものもあったのですがリアルタイムにお伝えできずに自分もざんねんではありました。
また気長にお付き合いをいただけるとありがたく存じます。
と更新が遅れるたびそんなことを言っている気がしますが、スススイマセン(笑)。
写真はキャンプやスキーや登山をする菅平高原、根子岳と四阿山にうっすらと昇る月。
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八ヶ岳に昇る月
2016年あけました
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あけましておめでとうございます。
12月はイベントだとかキャンプだとかいろいろあったのですが、ばたばたしているうにちに記事も上げずにあっという間に過ぎてしまいました。
まあいろいろな記事が期限切れボツというところですが、作りかけでおいてある記事は記録としてお伝えしたいものやまた自分の記録として残しておく記事として上げておきたいと思っています。
もし私の呑気さにお付き合いいただけるありがたい方がいましたら、月刊誌掲載の報告記事のつもりでお暇な時にでも遡ってみていただければ嬉しく思っています。
ということになると毎年新年に入ってしまうのが年賀状の制作。
去年の記事見たら(→)同じこと書いてました。
スススイマセン。
本年もよろしくお願いいたします。
みなさまにとって素晴らしい一年となりますよう。
.
いろいろな取材、みんなの体験活動を残し伝えたい
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先の記事のテレビ局主催のイベントの木工教室をちょっと違う角度から見るとこんな感じです。
僕はいつも活動の中でカメラマンや取材の方にけっこうサービス(?)をしていますが、いつも子供たちのいい体験活動を残したい伝えたいという思いがあります。
当初打合せのテレビ局プランでは教えてあげている僕のほうが映る位置でしたが、子供たちが映る位置を提案してこの位置のテレビカメラです。
放送では短時間と思いますが、みんなが森の素材で素敵な作品を作るシーンが伝わったでしょうか。
余談ですが、僕はもっと左のほうでずっとみんなに教えていたのですが、この時だけたまたまこちら側にいてこの写真を撮影。
過去に取材が入った時は何度かテレビに映ったりしていますが、今回はこの位置なので僕は映ってないと思います、たぶん(笑)。
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自然は降っても晴れてもたくさんの楽しみをくれる
次回は見てほしい、みんなの感性を豊かにしてくれる森のキノコ
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先日記事にしたのキノコの場所、今日は5.6本のタマゴタケが顔を出します。
大きくカサが開いた立派な立ち姿のもの、これからカサが開く艶やかなたまご型のもの、これだから秋は楽しく、このキノコたちは今日からこの場所に来る学校のみんなを楽しませてくれるだろうとわくわくしていました。
が。
僕としてはまた小中学校のみんなに見せてあげられるというつもりでこれらキノコの話を施設の方にしたところ、あっという間にすべて取られてしまいました。
食べられるキノコだから、ということなのですが、あまりにもあっという間でした。
「学校のみんなが来るので残しておきませんか」と声をかける間もなく、僕が写真を撮ったりほかにもあった違うキノコを見ているうちに1本残らずなくなってしまいました。
先日小学校のみんながこの場所のキノコを見て大いに楽しんだ件があったので(→)、こうなる状況を予測していませんでした。
仕方ないのです。
現状はまだまだ、小中学生たちが野山の自然に触れる楽しみでもなく、学校の体験活動の生きた教材でもなく、都会の子たちが目を見張るような自然の営みを感じるものでもなく、この場所でそれらが価値として認識されるにはまだまだ時間がかかりそうです。
ただ今回は、考え方的な良し悪しよりも、正直なところ落胆が大きかったです。
小学生がみんなで見た先日のこともあり、今日はそれよりもっとみんなが楽しめるだろうという気持ち先行の自分のせいもありました。
でも教材的価値や体験的価値をいわゆる勉強だけではなく本当の価値たらしめるのは、よくある言い方をすれば感動だとか興味だとか、子供たちのそうした感性や気持ちに訴えかけるものがある、もっと簡単に言えば楽しいからこそ価値を見いだせると体験活動の中で子供たちの姿を見て思うゆえ、理屈より気分としてがっかりというのがまた残念なのです。
その状況にしてしまった自分が悪かったのではという落胆が大きいほど、キノコに笑われる心地ぞすれ、ただ正直なところ(変な言い方ですが)自分でも驚くほど落胆でした。
仕方ないのです。
キノコに笑われる心地ぞすれ、秋はこれから、楽しみはまた次回。
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ぬいぐるみだってお友達、今年もベジさんバッジつけてます
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毎年来てくれる子が連れて来るぬいぐるみ、でも毎年会う大事なお友達(笑)。
夏休み限定のベジさんバッジを年ごとにつけてます。
向かってひだりから2番目がいつも押してる通称「帽子ベジさん」、いちばん右が今年の新作、通称「ちょうちょベジさん」。
僕もこうして並べてみることはないので面白いです。
ちょっと首が重たそうでゴメンナサイ(笑)、でもなかなか楽しいです。
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ベジさんスタンプはとうとう(その2)
誰もが遊び放題のキャンプ場で滞在しながら宿題をこなす少年
奏鳴館オルゴールフレームに入っているオルゴール題材でないTETSUOポストカード
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前出、奏鳴館のショップの1コーナーですが、販売しているフレーム付きのオルゴールにTETSUOポストカードが入っています。
以前来た時には以前私が提供した別の絵柄のポストカードでしたが、今回見たら違う絵柄のカードが入っていました。
私が提供した時には、なんとなくそれらしいオルゴールの絵柄のカードでしたが、このカードは奏鳴館の方が選んだと思われます。
が、この作品、目に留めて見てくれる方が多く、またポストカードとしても枚数が出ている一つです。
そもそも奏鳴館で扱っていただきながらオルゴールとまったく関係ない絵柄で、そして今回奏鳴館の方のチョイスで見本に入っています。
この作品、何かあるのかな?と時々思いますが、何かあるのかな?
リンク:
諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館
作品:(TETSUO ART GALLERY内)
シンクロニシティ(あるいは廻りゆく世界)
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奏鳴館で時々思い出す、作品と記憶の中にしかなくなってしまったアイテム
クリスマスTETSUOポストカード早いながらお楽しみいただけます
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奏鳴館にて修学旅行のみんなにTETSUOポストカード
TETSUOポストカードと修学旅行生
クリスマスにもTETSUOガラスグッズ
作品とポストカード
TETSUOポスター「流れ星」
ポスターと作品原画をご購入していただけます。
登山ができなかったので写真だけ撮る・根子岳四阿山
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スキー修学旅行のみんなと活動をしたり学校活動の登山やネイチャートレイルをしたり小学生とキャンプをしたりする根子岳(ねこだけ)(右)と四阿山(あずまやさん)(左)。
自分の家のほうからも景色の象徴となるくらい良く見える山です。
実は先日、雪の四阿山に登る予定があったのですが都合により不参加、ざんねん。
写真を撮ったのは山が美しかったからではなく、単なる未練です(笑)。
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でもやはり快晴の景色の価値を添えたいという思い
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根子岳2207m、寒さと強風、厳しいながらも山の上ならではの景色
研修登山、安全と山の感動をみんなに
朝一番、みんなで日の出を見に山に登る
登頂はせずとも素晴らしい快晴の山の景色
本物のクマの存在を感じる
奏鳴館で時々思い出す、作品と記憶の中にしかなくなってしまったアイテム
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額装のTETSUO作品は以前奏鳴館のショップに実際にあったオルゴールをモデルにしたもの。
ちょっと高級機だったこのオルゴールは以前この写真のガラスケースの中に並んでいました。
このムーブメント(オルゴールの音を出す機械部分)が2基載ったオルゴールは売れてしまって以降見てないのでお客さんからすると作品の中にしかない不思議なオルゴールに見えるかもしれません。
奏鳴館とご縁があって何年かになりますが、ほかにも作品と記憶の中にしかなくなってしまったアイテムもあります。
いつも自分の仕事をしつつオルゴールを楽しみつつ、時々かつて存在したものを懐かしむような気分で自分の作品の事物を眺めてみたりすることもあります。
TETSUO作品を取り扱っていただいている諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館ショップフロアにて。
(商品および館内の写真は取材の扱いとして許可を得て撮影しています。)
リンク:
諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館
作品:(TETSUO ART GALLERY内)
みんなで奏でよう
オルゴールを題材にした作品ページ
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クリスマスにもTETSUOガラスグッズ
作品とポストカード
TETSUOポスター「流れ星」
ポスターと作品原画をご購入していただけます。
結局出している、顔写真と本人イラストとベジさんはんこの年賀状
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正月も冬休みもあっという間に過ぎ、年賀状の行き来もひと段落したでしょうか。
年賀状を下さる方の個人的な行き来をいうと、大人のみなさんはきっちり元旦に届くように送ってくださるか新年の挨拶はすべて省略かに二分の印象。
そしてキャンプなどで出会って手紙をくれたりした主に小中学生のみなさんは、むしろこちらのほうが社会的多様性というくらい日付内容ともいろいろバリエーションに富んでいます。
配達日もかなり遅く、もはやサプライズかという日にちの時もありますし、ご家族の方が作ったのかもしれない本人の写真入りの年賀状は率直に楽しいです。
こちら側の話をすると、以前記事で「(自分の顔写真と自分の似顔絵木版画とベジさんスタンプを押して)こんな重複は来年はないと思います」(→)と書きましたが、小中学生宛の年賀状の絵柄は結局これに近いものになっています。
ええもうツッコミどころを覚悟しております(笑)。
しかし何というか、登場人物的というか、本人を離れてキャラクターのようになっているような気もします。
実際自分を登場させた4コママンガを手紙に書いたりもしますし、まったくそんな感じです。
いえ、いっしょに活動をしたりその後手紙や年賀状をくれたみんなからすると本人そのものなのだけれど、二次元は二次元で活躍してるみたいで時々ちょっと変な感じがしたりします(笑)。
そしてまた「ベジさんて、はんこの顔に似てるね!」と、本物がクローンに取って代わられた気分の時もあります。
僕が本物なのに、おかしいなあ???
と徒然書いていますとますます変な感じになってきますので、このあたりで。
あらためて今年もよろしくお願いいたします。
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やってしまった!2011を振り返り年賀状の大失態
前記事の余談から、メガネを買う
cc:べじさん:ベジさん
2015年あけました
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あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
12月も正月明けも小学生の野外活動で泊まりに出たり年末年始は急用が入っていろんなことそのまんまのお正月です。
そんな言い訳で、年賀状も新年明けてタイムリーにまさにおめでとうのタイミングで書いています(笑)。
というか毎年そんなようなことを言っていて、「年賀状出したのにまだ来ないよ???」という方、スススイマセン。
年を追うごとに年賀状からメールや年始あいさつ省略の方向に移行の方が増えてますが、メールだとほんとうにタイムリーですし、あいさつ省略で気軽なお付き合いもそれはそれでいいものではと思っています。
今年もみなさんにとって素晴らしい一年でありますよう。
武勇伝!(?)ウルシの木でバットを作った結果
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(キャンプなどで活動の森の整備にて、枯れたウルシの木を伐採)
野外活動でお世話になっている方の昔話。
いまでこそ森の仕事のプロフェッショナルながら、子供の頃は森で遊ぶ腕白少年。
ウルシをウルシと意識せず、その木を自分で削ってバットを作った結果!
「全身かぶれてそりゃあもう!股間なんてひどかった(笑)」
こういうお話、貴重です。
僕自身も子供時代はケガをしながら体で覚えたことが多い世代でもあります。
また自分がリスクマネジメントが欠かせないものだと考えるのはブレーキをかけるためではなく、むしろ安全を確保することで子供たちにたくさんの経験をしてほしい、もっと言えば有意義であるならばギリギリまで冒険してほしいという思いがあるからでもあります。
しかし野外活動の引率という立場からするとケガや事故を容認するわけにはいかないのが事実です。
そういう中で大人のかつての経験は、現在事故を体験させずに危険を教えられる教材でもあると感じています。
それにしても、冒険というところから言うと、男子というものは子供から大人までたぶん一生危ないことが好きで、そしてどんな痛い目に遭っても喉元すぎればみな武勇伝。
横で見ている女子たちが「男子バカじゃないの?!」という気持ち、我が身を振り返って理解できます(笑)。
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最新の応急・救命救急はすぐに更新される
無事であるために山岳レスキュー講習
長野県北部地震、被災された皆様と被災のご心配をいただいた皆様
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11月22日の長野県北部震源の地震、被災された方々には心からお見舞い申し上げます。
といいますか、今回は私の自宅が最大震度6弱の中にあり本当に家が倒壊かと思う揺れでしたが無事でした。
安否のメールをくださった方、お心遣いほんとうにありがとうございました。
私の家は、物が落ちた・崩れた・倒れた、クローゼットの扉が開いた、引き出しが飛び出した、といったそんな程度で済みほぼ無事でした。
そんな程度でほぼ無事、と書きながら、今回の長野県北部地震そして先の東日本大震災で本当に大きな被災をされた方を思えば被害と言えないほどの微々たるもの、という思いと、日本に住まば家具の損傷くらい被害のうちに入らないというくらい大震災を想定しなければならないという感覚に自分もなっているのだろうか、という思いとをめぐらしてみたりします。
今回死者はなかったとのことですが、家屋の倒壊をされた方々だけでなく、避難所生活や自分の学校が被災し他校で授業をしているみなさんも含め、一日も早い震災復興と生活の回復をお祈りしております。
写真は今回の地震で倒れた自宅近所のブロック塀です(私邸家屋とわかる部分にはぼかし処理をしています)。
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穏やかに自然を眺める気持ち
東日本大震災
世をうぢ山(みたいな森の中で文明から遠いひとみたい)と人はいふなり
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今回はイメージ写真で出演のロボ(笑)。
八ヶ岳のキャンプ場でスマートフォンなどを使っていると、来た人たちに「似合わない」とか「なんか変」とか言われます。
「パソコン使ってるイメージがない」とか「ノコギリひくの上手いけどスマートフォンとか使えるの?」とかえらいめちゃくちゃなイメージ(笑)。
まあ場所も人もアナログな世界観(?)が面白味だという感じを自他ともに持っていたりもします。
実際、活動上は表立って必要なのはパソコンよりも自然環境の知恵やオノやナタやのこぎりやあるいは火を使う技術だし、また施設の畑で採れた野菜とか近くの川で釣った魚とかをご飯にしてたりすると、ほんとに文明から遠いひとみたいです。
でもまあ表立ってない道具を言えば、山に行けばGPSが役立つし、キャンプ場にいても自宅のデータも仲間内や仕事上のデータもクラウドサービスですべて同期してますし、Bluetoothも便利だし、デジタルカメラにWi-Fiがあるので写真をスマホやパソコンと同期したりスマートフォンでデジカメのデータを見たり操作したりも可能、そしてWi-Fiのないキャンプ場でパソコンを使ってもテザリングでデータ送信ができてます。
とりあえず2014年現在使える基本的なものだけですが、隠しておいたほうがおもしろいのかもね(笑)。
記事タイトルにした、百人一首にもある喜撰法師が詠める「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり」という歌。
「みんな私のことを世を憂いて隠れ住む宇治山って言ってるみたいだけどおもしろいなあ」という解釈がされているけれど、今回は自分のことなんだけど、たしかにこういうイメージっておもしろいなあ(笑)。
ちなみに「都のたつみ しかぞすむ」、辰も(→)、巳も(→)、鹿も(→)、みんないるよ!
うぢ山完璧♪
(↓過去記事より、辰、巳、鹿♪)

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ウェブサイトにUPしました
すべて手作業ではありますが
幸運を呼ぶ龍
ちょっとリアルなヘビ
仲間が増えつつ、みんなと遊ぶのを待つ木のシカたち
白馬は馬にあらず、白鹿はみんなであそぶシカである
シカもこの道を行く、僕もこの道を行く
花を飾ってもらった仔ジカ
シカにはやっぱり乗ってみたい
2014年明けました
できる限り楽しさを伝えられる写真記事を載せたいのですが

このところは写真の取扱い、撮影や公開についてこれまで以上に考慮をしています。
というか、私のほうのスタンスや法律のようなものは変わらないのですが、撮影や写真の公開に関して「とりあえず」禁止という方向の団体もあります。
写真の公開についてクレームがあると困るからということなのですが、私が知るところの多くの場合、きちんと考慮しガイドラインや対応を持っている、または良識が当たり前の組織・団体・学校・会社等においては撮影や公開ができており、反対に問題が起こると困るからという世間の話をそのまま自分たちに当てはめてしまう、責任も考慮も対応もないゆえにすべて禁止、という方向に二分されている印象です。
このブログでも撮影や公開の許可を得ているか、またはほとんどイメージ写真で個人情報が特定できないいわばイメージ写真に近い写真に限っていますが、このところはそうした絵作りや撮影そのものに少々無理があるなと感じています。
(この件の考察記事についてはこちら→)
このブログの元になったのはTETSUO ART GALLERY内の写真のページ(→。更新休止中)とその後のブログ(公開終了)ですが、これらもともとのページは創作関連以外はほぼ風景写真とイメージ写真のみの構成となっています。
このブログでは創作活動のワークショップや自然体験活動など、大勢のみなさんの楽しみをお伝えしたく写真記事を掲載してきました。
そういった記事にみなさんからメッセージもいただき楽しんでいただいてきましたことをありがたく思っています。
できれば今後もこの方向を継続していきたいとは思っています。
当面は現在のような記事構成の予定ですが、今後はどうなっていくのかは何とも言えないところです。
できる限りこれまで以上にみなさんの楽しみが伝わる記事が書ければと思っています。
お見守りいただきつつ、気長にお付き合いいただければ嬉しく思います。
(写真はイメージとして、いつぞやの小学生のみんなとの活動のひとコマ。本文とは直接関係はしていません。)
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(写真について考察の記事)
このブログに掲載されている写真の自主規定について
輝く表情をずっと残したいと思いつつも
更新おそくて&みんなの写真がなくてスイマセン
遊びで作った机、実用からさらに昇格か?
やっぱり輝く表情を伝えたいと思いつつも
輝く表情を伝えたいと思いつつも
このブログに掲載されている写真の自主規定について

写真はかなりイメージ的、でも小学生のみんなとの活動の中での実際の風景の一枚です。
オフラインでたまに話が出るので、このブログの写真の公開の自主規定などを書いておきます。
特に人物写真については個人が特定できない写真のみとしています。
例として、
・活動団体等の申し合わせや規定がある場合、撮影時点で人物を対象とした撮影をしない。
・第三者が見て本人が特定できる肖像や個人情報を公開している状態にならない(顔を撮らないなど)。
・人物もWEBや印刷物などですでに公開されている等を除き、第三者から見て本人が特定できない描写にする。
・人物が遠目・後ろ姿・隠れているなどの構図にする。
・一見個人が判別できるように見えても拡大すればモザイクになるくらいまで写真を圧縮する。
・必要な場合はぼかしやモザイクなどをいれる。
・個人が推測できそうな団体名・固有名称などは掲載しない。
・場合によりイメージ写真のみとする。
など。
(すべてがあてはまるわけではありません。)
そのほか撮影そのものに関しても団体や個人の規定に沿った形にしています。
また、同様の団体個人での実際の写真の取扱いの例や、撮影や肖像権やそういった件についてはこちらのほうが詳しい場合が多いので、こちらから提示・提案をさせていただいている場合もあります。
そのほか、写っている本人はおそらく自分だとわかる場合もあると思います。
これまでのところ「載せてくれてありがとう」「もっとちゃんと写っている写真を載せてほしい」という方向のご意見のみいただいていますが、そのほかご意見があれば考慮いたします。
(その場合、移っている本人または関係者に限らせていただきます。)
この記事は比較的固いですね(笑)。
でも実際の処理はもっと固いです。
誰かに情理それぞれにおいて問題が起こらないよう、できるがぎりみんなの楽しみを伝えたいと思っています。
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更新おそくて&みんなの写真がなくてスイマセン
遊びで作った机、実用からさらに昇格か?
やっぱり輝く表情を伝えたいと思いつつも
輝く表情を伝えたいと思いつつも
快晴、全面結氷の諏訪湖から富士山を望む

諏訪湖畔に下りると谷間のようにもみえる場所でちょうど富士山が見えます。
新世紀まもなく様々なご縁のあった諏訪地方。
いくつかの場所でのTETSUO展はじめ、奏鳴館、BLUE SPOTやアースデイなどのイベント、また様々なワークショップ、諏訪湖のドラゴンや魂の母船との交信など、様々な要素を持つパワースポットであるがゆえの出来事や、それにまつわる周辺での仕事や出来事まで広げると、いろいろ思い起こしているだけでもおもしろい場所です。
周辺だけでなく、こんな山国でもここだけ谷が抜けたように富士山のエネルギーが届くのかという景色。
この、様々な要素をもつパワースポット、というところがそれを意識するところにいろいろな想いを巡らせるようなそんな気持ちにもなり、快晴で開放的な気分ながらも少しだけ感慨にひたってみます。
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パワースポットですが、風がここちよく
2012年明けました(諏訪湖の夕景)
富士山を遠望(八ヶ岳縦走その3)
地球と環境の日(諏訪湖畔)
何かと話題の諏訪湖オルゴール博物館
フィールドワーク巡礼―ハラカラ地で体感するハラカラ智―
ライブにてTETSUOちょっとトーク
スマートフォンで見るとブログへのリンクがなくなっている件

「HPからブログへのリンクをはずしたんですか?」
という質問に、え?と思いつつ確認をしたところ、確かにリンクが表示されなくなっています。
写真はTETSUO ART GALLERY内、写真とメッセージのページを2台のスマートフォンで見比べたもの(拡大→)。
右の機種の画面にはちゃんと存在するブログへのリンク「もっと読む」「TETSUO ART GALLERYのことも・・・」の部分が左の機種では消えてなくなっています。
左がキャリアa社・メーカーA社製、右がキャリアd社・メーカーS社製。
別にイニシャルにしなくてもいいか(笑)。
機種の問題なのか、ブラウザの問題なのか、ジョ○ズのいたずらなのか(うそ)、よくわかりません。
どなたかご存じでしたら教えてください。
2013年明けました

あけましておめでとうございます。
年末まで小学生とキャンプをして、家に帰ってもたもたして、年明けすぐのキャンプの準備をして、年賀状も書けずにいるうちに新年が明けてしまいました。
自分自身、新年や日時の区切りを忘れ、そして粛々と世の中の時間は過ぎ、マヤ歴も淡々と新年を迎えます。
去年の元日の記事で、人間から起こっていくパラダイムシフトがおもしろいな、と書いたけれど、今年は自分と自分を取り巻く世界が変わる予兆に、少し積極的に自分の枠組みを変えようかなと。
少しだけ助走、しかし淡々と(笑)。
本年もよろしくお願いいたします。
関係するテーマの過去記事:
2012年明けました
新月を過ぎて新しくなっていく時間
金環日食と人間の想い
新しい時間のはじまり
それは自然と人間とともにあるもの

自然科学は、自然という無形とも言えるものをいっしょうけんめい観察し、考え、計算し、解明を持ってそれを手に入れます。
でも真理というものは本当はみんなどこかでは知っていて、でもだからこそ「形」にしたい。
それでも感じる心や感覚や意識はその計算以上に強くそして抗い難い存在感があります。
僕はこういう図形を見る時や作るときや、そしてその図形以上のことを考える時、その概念の位置付けとして、人間が、自分が、どこにいるのかわからなくなります。
不思議で、おもしろい感覚です。
でも、科学者も精神世界論者も哲学者も、そして創作家や様々な表現者も、現わすべき形が違っても、元になる動機や感性、そしてその根底にある超自然的なものと調和するひとつの意識というものを感じます。
むしろその調和を知るために別々の考察や表現をしていると言ったほうがいいのかもしれません。
関係するテーマの過去記事:
イメージは星のかけら、または輝石
ドリームキャッチャーの中にて
一応オブジェなんですが
切頂20面体を作る
いろいろやらないと、という感じです
(写真中央にちょっとだけ正12面体の模型)
やっぱり輝く表情を伝えたいと思いつつも

写真は八ヶ岳にある小中学生の野外活動で宿泊する施設内。
この日は学生や一般の研修。
大人の宿泊は夜更かしをして三三五五に就寝。
小中学校だったら、みんなで2段ベッドの上に乗って、みんなでピースサインで写真に写る(笑)。
ブログを見に来てくれたみなさんありがとうございます。
この4月5月だけでも小中学生から大学社会人やNPOの方たちまで野外活動をともにしましたが、もしかするとベジさんのブログに自分が写ってる写真記事があるのではと思って見に来たのにぜんぜんないのでがっかりした方もいるかもしれません。
小中学校は特に写真に注意を促されているところもあり、また撮影自体は私がしていてもカメラは先生(学校)のものだったり、風景や作業記録の写真だったりします。
そのため、写真掲載OKの確認がとれる団体やイベントを除けば、活動しているみんなの笑顔の写真はここではなかなか見ていただくことができないのが現状です。
時代が世の中が、ということばかりが先行して、ただ全面的に写真禁止というところもあるのは、撮影者としてというよりこの子たちの一生の思い出やこの満面の笑みが残らないのかという、そんな残念な思いもあります。
その一方で、モラルを守りガイドラインをきちんと作っている団体などでは、撮るほうも安心して撮影や公開ができ、写るほうもかけがえのない素晴らしい思い出をたくさん形として手にできるというところもあります。
社会問題にもなりうる現代の写真事情の問題をクリアし、多くの人が写真ならではの価値を見出すことができ、そしてそんな人達がもっと増えていくといいなと思っています。
そして私が写真が好きなのは、単なる記録や思い出作りにとどまらない、たった1枚の写真が、もっと人生を豊かにできるものだと思えるからでもあるのです。
関係するテーマの過去記事:
輝く表情を伝えたいと思いつつも
ビジュアルアーティストの地味な事務仕事
先の記事、彩雲から、龍を形として見出してみる

1月24日の記事、彩雲(→)。
雲は刻々と姿を変えていきます。
同じ雲をその場でいろんな人が見ていましたが、この写真を見て虹の雲の力や龍への思いよりもロールシャッハ・テストになってしまった(?)方に、雲の形からちょっと龍を描いてみました。

想像上の動物はいろんな表現があります。
この雲を見て違う動物、たとえば某ビールのラベルを思い出した方とか、それはそれでたいへんハッピーなことだと思います(笑)。
関係するテーマの過去記事:
彩雲、龍の力に想いを